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岐阜県
土屋くん
「自分しかいない部屋で・・・」

不登校期間 3年 岐阜県岐阜市出身 高校1年男子  

中学時代の自分は何だったのだろうか。

小学校の後半から学校に行かなくなった。その続きで中学校もほとんど行っていない。学校に行っても、ただ毎日「同じ時間」が過ぎていくのをじっと「待っている」だけだった。

学校とは何なのだろう。

学校そのものに何の意味があるのだろうか。世間は学校に行くことに価値があると言う。世間的には学校に行かない者は駄目な人間のように言う。しかし自分はその中に価値を見いだせなかった。

しかし、勉強することには価値を感じていた。

そう思っていたから、学校に行っている誰にも勉強では負けたくなかった。だから、学校に行かなかったが勉強だけはした。

しかし、ただ一人勉強する毎日は苦痛だった。どんなに頑張ったところで、誰も評価してくれない。学校に行っている奴よりも努力しているのに、人からの応援もないし、期待もない。誰も褒めてくれる人はいない。「やってて良かった」と思える時が来ることを、皆から「凄い」と言われる時が来ることを期待して、勉強を続ける毎日だった。やりがいが全くない毎日だった。毎日が本当に退屈だった。

自分しかいない部屋。

そこにずっと一人でいると、心は段々とマイナスに動くものだ。「学校には行かない」と決めて、部屋に籠もっている自分を自己批判するようになった。そうすると、当然自信がぐらつく。「勉強したって無駄だ。何をやっても無駄だ」と思う様になってしまった。そんな自分がかろうじて乗り切れたのは、友達の救いの手だった。

家の近くに小学校時代からの友達がいた。彼は学校からの帰りに毎日寄ってくれた。学校からの手紙等も届けてくれた。そして、彼と一緒に自転車であちこち出掛けた。

この時間だけが唯一の楽しみだった。

時間がある日には遠出もした。こんな遠くまで来たと思うとついつい人に自慢したくなる。それも自分の中だけの喜びだったが、今思い返せばそれが自分を支えていたと思う。

高校へ入学して、早くも1年が経つ。この1年は自分の人生にとって、最も多くの体験をした時間だと思う。クラスの中で、クラスの活動の中で、毎日多くのことが起こった。学校生活って結構大変だし、楽しいものなのだと分かった。
中学校時代と同じように、勉強をしている。

だけど場所が違う。

一人しかいなかったあの時とは違う。多くの人がいる。会話がある。日ごとに仲良くなる友達がいる。横で必死に勉強しているライバルがいる。
単に友達が自分の心の中に居るだけではない。友達の中にも自分が居ることが分かる。周りの多くの人の中に自分が居る。応援してくれる。期待してくれている。褒めてくれる。周りに心を通じ合える人の居ることの重要性を感じる。

今の自分には、自信を持つことのできる場所や機会が沢山ある。だから喜びがあり、やりがいがあり、誇りがある。目標がある。

昔とは違う自分がある。

閉じこもっていない。昔には戻りたくない。しかし、今の自分が良いとは言えない。直ぐにはこの自分を変えられるとは思わない。しかし、今の自分は小さすぎる。もっと大きな人間になれるはずだ。それができる場所に今自分はいるのだから。

1年間でここまで変わった。

しかし、これが本当の自分だとは未だ思えない。できない事がまだまだ沢山ある。しかし、この1年間で前向きにやっていく姿勢だけは手に入れた。これさえあれば、自分の中の本当の力を出せるようになれると確信している。自分は何かをつかんでみせる。



兵庫県
前田さん
「自分だけの世界をつくっていた」

不登校期間 1年4ヶ月 兵庫県尼崎市出身 高校2年男子  

気が弱かった。

中学校に通っていた当時は、相手が話しかけてくれるのを待っていました。自分から相手に話し掛けようとはしませんでした。自分から話しかけた記憶がありません。

全て、相手に合わせる毎日を送っていたように思います。だから、段々と不安が増して来たのだと思います。「クラスの皆と今日は上手くやれるだろうか」と不安になりながら家を出ました。そんな毎日が続く内に、徐々に学校に通うことに嫌気が差してきました。
中学2年の2学期頃だったと思います。

とうとう学校に行かなくなりました。

自分の部屋に閉じこもって毎日を過ごす様になりました。部屋にじっとこもっている日が続くうちに、自分のことばかり考えるようになりました。自分中心の世界で生きていると、他人の気持ちが考えられなくなるのだと思います。今から思うと、あの当時どれだけ親に心配を掛けていたのか。

ゾーっとします。

高校受験が近づき、担任の先生から今の学校を紹介されました。

少しでも辛いことがあると直ぐに逃げ出していた僕に新しい生活ができるのだろうかと悩み、そのことでようやく親とも話しをするようになりました。

覚悟をして飛び込んだ全日制の高校でしたが、ここで僕は大きく変わることができました。いつの間にか大勢の友達ができました。中学時代の友達とは違い、何の遠慮もなく、自分から積極的に話しかけられるようになり、以前の弱気だった自分が嘘のようです。

よく考えてみると、自分に自信がなかったからだと思います。
だから自分を出せなかったのだと。

今思い返せば、中学時代のあの空白の時間がどれだけもったいなかったか。その辛さや苦しさ悔しさをここでの生活で取り返し、打ち消すことができたことが嬉しいと思っています。



福島県
持家くん

「私は生きている意味がない」

不登校期間 5年7ヶ月 福島県いわき市出身 高校2年男子  

涙はなかった。

いつの間にか、部屋で好きな音楽を聞き、自分の中に奥深く沈んで行くことを覚えた。昼と夜が逆になった。自分の奥深くに沈んで行く自分に悲しくなった。涙を出して泣こうと思ったが、涙は私には必要なかった。ただ、部屋の壁に穴が開くだけだ。

私は自分自身を理解していない。

分からぬ自分を生きていることを認めたくなかった。自分の存在を認めたくなかった。自分は何故生まれてきたのか。自分は何なのか。

嫌なことからは全て逃げてきた。嫌なことがあると誰かに当たった。それは家族だった。そして今、家族と別れて、家族がいてくれる幸せを知った。

高校へ入学した当初は、「私はここに居ていいのだろうか」と思っていた。そう思いながら何日も過ぎた。そのうちに、自分の中に踏み込んでも自分を失うことがなくなった。朝も起きられるし、学校に行き授業も受けられる。何故か、涙も必要だと思うようになった。悲しい時には泣いて、嬉しい時には喜ぶことが必要なのだと分かった。


でも、自分の生きている理由は今は未だ分からない。今分かったら、これから生きていく意味がないようにも思える。だから今は分からなくても生きていける。「自分がここに居てもいい」ということを生きていたい。「生きていたい」と思えるようになった。



愛知県
近藤さん
「私だけ特別扱いしないで」

不登校期間 2年3ヶ月 愛知県名古屋市出身 高校1年女子  

不自然さを感じました。

私は小学校から学校に行けなくなり、それが中学にも引き継がれて、中学は全く行きませんでした。もう随分前のことですから、何故学校に行けなくなったのか定かではありません。

私の中に少しずつ、「学校に行きたくない」というものが、大きく成長し、そしてある日破裂してしまったのだと思います。

そんな私に、親も先生も友達も戸惑っていました。母の「学校に行きなさい」の言葉に推され、友達の「「学校においでよ」の声に引かれて学校に行くと、先生は必要以上に私に気遣いをしてくれました。それだけ私のことを思って下さっているのですが、その行為を不自然に感じました。

大人の子供に対する「心を開かせよう」とする態度が、私の心を一層閉ざすこととなったのです。子供は一度意地を張ると中々素直になれません。

そこから本格的な不登校が始まりました。

勉強はする気がなかったのですが、本を読むことは好きだったので図書館には通っていました。そんな私でしたが、高校受験の時が来ました。私は、「私を特別扱いしない学校」を選びたいと思いました。そして今の高校へ進学しました。

この1年間、多くの人に支えられ助けられてここまで来ました。本当に感謝しています。今度は私が人に何かして上げたい、支えられる人になりたいと思っています。



徳島県
服部くん

「なぜ好き嫌いが激しい私が・・・」

不登校期間 2年10ヶ月 徳島県徳島市出身 高校2年男子  

自分がわからなかったんです。

中学時代の自分を思い出す度に、新しい学校へ行って本当に良かったと思います。中学では、そこで自分が何をやりたいのか分かりませんでした。したいことのない毎日は苦しいものでした。

そのうちに学校に行かなくなりました。

家でも「自分は本当は何をしたいのか、何が好きなのか」と考えていました。でも、どんなに考えても答が出ませんでした。今思えば、答が出るはずがなかったのです。何もせずにじっとしていて、自分が見えるはずがなかったのです。

好きなことでも嫌いなことでも、前向きに行動している時に、初めて自分とは何かが見えるのです。
新しい学校では、色々なことを始めました。

好き嫌いは通用しませんでした。

例えば混声合唱です。先輩に誘われて参加した合唱ですが、最初は大嫌いでした。ところが回を重ねる毎に面白くなりました。

大きな声を出すとスッキリします。

美しいハーモニーがつくれると心が踊ります。合唱を始めるまでは、自分がこんな声を出せるとは全く知りませんでした。挑戦したから分かったのです。

この経験から僕は、好きなことはもちろん嫌いなことでもやってみようと決めました。嫌いなことに立ち向かうことが、未来を紡ぐ大切なことだと分かったからです。今はまだ自分の知らない自分が、これから幾つも顔を出すと思います。これからが楽しみです。


愛知県
三崎さん
「沙織ちゃんを信じられなくなって・・・」

不登校期間 1年2ヶ月 愛知県岡崎市出身 高校3年女子  

学2年生の冬でした。

私が学校に行けなくなったのは。しかし、私の中で学校に行きたくないとの気持ちはずっと前から出来ていました。

なぜ学校に行けなくなったのか。

その理由は友達が信じられなくなったからです。私は誰とでも仲良くする方でした。ある時、友達の沙織ちゃんと話をしていると、ある子の悪口を言い出しました。二人の関係が良くないのは知っていましたが、ここまで悪口を言うのかと思いました。

「あの子ムカツク」

から始まり、最後には「あの子と仲良くすると、あなたも外されるから仲良くしない方が良いよ」との脅しの言葉でした。

なぜこんなにひどいことが言えるのだろうと思いました。そして、そのことを間違っているとは誰も言わないのです。その子と仲良くしているクラスの多くの女子に疑問を持つようになりました。

そして、嫌悪感を持つようになりました。

それから私は、女子の輪の中に入ることが出来なくなったのです。きっと誰かを外す話題で面白がっているんだ、次は自分を外す話題をしているのだと想像すると、近寄れなくなってしまったのです。

ボスの女の子が怖いから、自分が外されないように、ボスの子が言うことは間違っていても正しいとしてしまい、自分は安全な所にいる。そんなクラスの仲間が嫌だし、怖くさえ感じるようになってしまいました。そして学校に行かなくなったのです。しかし、私の中で学校に行きたくないとの気持ちはずっと前から出来ていました。



長野県
田原くん

「あの子と同じ教室にいたくない!」

不登校期間 1年7ヶ月 長野県長野市出身 高校2年男子  

原因はひとりの級友です。

中学校へはボチボチ行っていました。1年の秋頃から部活へ行かなくなり、2年の5月からポツポツと学校に行かなくなりました。

仲の良かった友達を「あの子と同じ教室にいたくない。また何かされるに決まっている」と自分で決めつけて悩んでいました。段々不安定になり、学校に行けなくなってしまったのです。

最初の1週間は、本当に楽でした。でもそこからだんだんとつらくなって、何もかもが嫌になったんです。

今考えると、逃げることしか頭にありませんでした。

自分にとって安全と思う場所にただ逃げているだけでした。その当時は自分のことだけしか考えていませんでした。

そんな私が、自分以外の人のことを考えるのが普通になりました。今では、自分のことを後回しにして人のことを考えるようになりました。こんな考え方が出来るようになったのは、今年卒業した3年生のお蔭だと思います。自分のことよりも私のことを親身に思ってくれた卒業生のあの姿が私を変えました。

人の為に動くことは気分の良いことです。自分のことだったら逃げられるけど、人のことで逃げたら迷惑が掛かります。

「自分を押すのも大切だけど、他の人が迷惑しない程度にする。だけど正しいと信じることは、溜め込まないではっきりと言う」ことを教えて貰いました。
これからはこの考え方で、逃げることをせずに生きていきます。


神奈川県
遠藤さん
「公立中学に合わなかった・・・」

不登校期間 3年 神奈川県川崎市出身 高校1年女子  

実は、小学校の頃から休みがちでした。

中学はマンモス校で3つの小学校からの生徒で埋まっていました。入学して直ぐに、生徒の数の多さに圧倒され、気後れしてしまい、自分は駄目だと思うようになりました。

そして登校拒否を始めたのです。

私は私の中で不登校が違和感なく受け入れられるようにしていたと思います。毎日毎日、何もせずにただ食べて、テレビを見ていました。自分がその現状について考えるのが怖かったので、自分で自分を無視するようにしました。

何も考えないように眠り続けました。

何もない生活、友達がどんどん去っていく。そうした現実に焦る気持ちも最初はありましたが、自分で自分を無視すれば、自分も他人もどうでも良くなりました。

そんな私を見かねた母が心療内科のクリニックを探し、そこに入院することになりました。そこで自分の心理を分析されました。自分を無視することで生きてきた私が、その自分を分析されることは、死ぬほど辛いことでした。同時に、自分を無視して生きてきた時間の空虚さが自分の中に飛び込んで来ました。

ここから、自分は再び立ち上がりました。

私立中学へ転校して、クラブの先輩にいろいろな話を聞かせてもらいました。その時初めて、人と関わることが安心を生むのだと分かったように思います。人への優しさが人と人をつなぐものであると。



長崎県
吉見くん

「もう耐えられない・・・」


不登校期間 1年 長崎県佐世保市出身 高校2年男子  


正直に言えば、随分我慢して中学に通っていました。

しかし、中学2年の後半に我慢の限界が来ました。同学年とは思えぬほど、程度の低い連中と同じクラスにいることが耐えられなくなったのです。

ところが、この学校でできた友達は、中学時代にいた無能な連中とは全く違っていました。自分から話しかけることができず、殆ど黙っている自分に、周りの人が優しく話しかけてくれるのです。こちらからなかなか声を掛けられない僕を、明るくカバーしてくれるのです。

出会って間もない人達です。

話してみると僕と同じように学校に行っていなかった人もいます。でも、明るく振る舞っています。僕以上に悲惨な中学時代を送っているのに、そうやって振る舞えるのは、多分僕以上に深く人生を考えた結果だと思います。

そんな中で、周りがせっかく明るく話しかけてくれるのだから、その気持ちに応じられるようにしなければと考えるようになり、僕も周りを明るくする人になりたいと思うようになりました。

それからは、僕と同じようにクラスでひとり淋しそうにしている人に話しかけるようにしました。一緒に食事をとったりもしました。そうするいちに、僕がそうであったように、積極的に話をしてくれるようになりました。

中学時代の1年半は、親に迷惑ばかり掛けました。今、その時間は一体何だったのだろうと悔しく思い出します。
この学校で素晴らしい仲間に出会いました。彼らとならば充実した時間が過ごせそうです。


奈良県
近藤さん
「陰で悪口ばかり言ってるのに・・・」


不登校期間 2年10ヶ月 奈良県奈良市出身 中学3年男子  


汚くて、ザワザワしていて、お互いを気づかうことなど全くありませんでした。

そのために中学時代、私は教室には行っていませんでした。教室の雰囲気がすごく嫌だったのです。陰で悪口を言い合ったり、時には嫌な態度をモロに出したり、耐えられない雰囲気でした。

担任の先生から、「今、普通に皆と同じように学校に来れなかったら、高校に行っても同じだぞ」と言われ続けていました。でも、あの教室の雰囲気を想像すると、結局最後まで教室に入ることができませんでした。

転校しても、中学と同じように教室に行けなかったらと不安で一杯でした。でも、今の学校は違いました。

友達がすぐにできました。

私のことを気づかってくれる友達です。今では皆と同じように教室に行けます。「教室ギライ」ではなくなりました。優しい友達ができたから、教室が好きになりました。

「教室ギライ」が克服できたので、今度は、「勉強ギライ」を克服したいと思っています。空白期間の大きな勉強ですが、寮では上級生と机を並べて勉強しています。

宿題も全てやるようになりました。

辛いなあ、苦しいなあと思うときもあります。でも、一つずつ、少しずつ、「キライ」をなくしていきたいと思っています。
そして、「大好きな自分」になりたいです。



徳島県
柳井くん

「もう心はズタズタだった・・・」

不登校期間 2年5ヶ月 茨城県茨城市出身 高校2年男子  

完全に取り残されていた。

中学時代は、わけあって不登校だった。但し、人に言えるようなものではなかった。いつも遊んでばかりで勉強はろくにせず、気づけば完全に取り残されていた。途中、なんとか登校した。

しかし、落ちこぼれを実感しただけだった。

友達と話しをしていても、その日の授業や勉強が話題になると、その場から離れてしまった。部活の卓球も入学当初はそこそこ上手だったのだが、同学年の子に教えられるまで下手になっていた。

学校に久しぶりに行ったことで心はズタズタになってしまった。「もうどうなっても良い」との考えが確実に大きくなった。僕のことを気遣い、勉強の話題に触れずにゲームのことしか話しをせぬ友達を、嬉しくも思い、同時に、自分がひどく情けなかった。

それ以降は二度と学校には行かなかった。

しかし、転校して変わった。不安一杯で入学したが、寮生活が一変させた。一緒に風呂に入り、同じ食事を食べ、一緒に同じだけの時間自習する・・そう、友達ではない、仲間ができた。仲間は、気を使うこともなくズケズケと本当のことを言う。こちらも言いたいことを言う。

そんな関係が妙に気持ち良かった。

部活も吹奏楽を楽しんでいる。楽しいと言っても苦労が多い。だが、皆で練習して発表会で演奏し、大きな拍手をもらった時はとても嬉しい。中学では味わうことができなかった『喜び』があった。「大学へ行こう」との夢も生まれた。

ハッキリ言って自分でも信じられない。

高校に入ることさえ遠い世界だと思っていた僕なのに。確かに転校して僕は変わった。だけど中学時代の自分を否定しようとは思わないし、恥とも思わない。

きっと今まで以上の多くの体験をするだろう。それを通じて、「中学時代、不登校で良かった」。だからこそ、新しい学校で仲間ができ、こんな自分があるのだからと言えるようになりたい。


千葉県
足立くん
「5年間いじめられ続けて、最後は」

不登校期間 4年 千葉県浦安市出身 高校3年男子  

人恐怖症。

小学校1年生の時から5年間いじめ続けられた僕の診断結果です。そんな僕に進路を決めねばならない時期がやって来ました。

勉強面でも精神面でも、他の人とは大きな差ができてしまった僕です。すべてを変えないといけませんでした。
そんな僕に担任の先生が新しい学校を勧めてくれたのです。新しい環境の方が、僕にとっては良いのではと思ったからです。

家から通える学校を選べば、また家に閉じこもってしまうのは自分でも分かっていました。
一旦閉じこもれば、また元の強度の対人恐怖症に陥るのは明らかですし、今度そうなったら、もう二度と立ち上がれないだろうとの追い詰められた心境がそうした選択をさせたのです。

入学してからしばらくの間は、僕にとっては試練の時期でした。

当時はまだ、人がたくさんいる場所にいるだけで怖くなる感じでした。ですから、ただ怖いという気持ちに立ち向かっていくというつもりで一日一日を過ごしていました。ただ必死に今の状況を良くしたいと思っていました。

そんな無我夢中の生活が続きました。恐怖心と戦いました。
そんな一日が1年となり、そしてとうとう卒業の時が迫って来ました。こんな僕が3年間の学校生活を続けることができたのです。



京都府
上家くん

「中学に入って、わずか1週間でいじめで、」

不登校期間 3年 京都府城陽市出身 高校2年男子  

私は、一週間で学校に行けなくなりました。

中学に入ってすぐでした。いじめられたのが原因でした。なぜいじめられたのか?
そのころは理由はわかりませんでした。今となると、想像ができます。

たぶん、暗い子だったのだと思います。自分がいるだけで周りが暗くなってしまう子だったのだと思います。小学校のころからほとんど誰ともしゃべらずに単独行動ばかりしていました。だからいじめられたのだと思います。

学校に行かなくなってから、生活がすごく変わりました。

だんだんと寝る時間が遅くなってしまいました。朝の4時過ぎになって寝て、起きるのは午後の3時。きっと朝起きるのが嫌だったのだと思います。

朝起きれば、「学校に行かないと」と考えてしまうので、それから逃げたかったのだと思います。中学時代は何でも嫌なことからは逃げていました。すぐに逃げて、それでいつもいつも終わっていました。

だけど、そんな逃げてばかりの自分が嫌で仕方ありませんでした。でも、途中から学校に行く勇気も出なかったし、だから余計に、そんな自分が恥ずかしくて嫌でした。

今でも後悔しています。

行っておけばよかったと。途中からでも。

最近、母親から、「中学のころと比べるとずいぶん明るくなったよ」と言われました。そう言われると、今の自分は逃げなくなりました。それだから明るくなれたのだと思います。自分がこんなに変われたのは、上級生のおかげです。逃げようとするたびに励まして勇気をくれた上級生がいてくれたおかげです。

2年生になってから、上級生に「すごく成長したね」と言われました。

この言葉を聴いたときにすごくうれしかったです。今から2年間逃げないで頑張れば、自分の性格ももっと変わると思います。去年先輩にしてもらったように、今年は1年生を励まして、一緒に頑張りたいと思っています。



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